das Rauchbier(燻製ビール)

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ドイツで驚いた食べ物や飲み物の一つが、燻製ビール(Rauchbier)でした。

初めて飲んだのは、バンベルクの丘の上に建つ大聖堂でコンサートを聴いた帰りに入ったレストランでした。同僚から「バンベルクに来たのだから、これを飲まなければ」と勧められて注文したのがRauchbierです。

一口飲んだ瞬間、「ビールなのにカツオ節の味がする!」と思わず笑ってしまいました。

最初は「ビールをどうやって燻製にするのだろう?」と思いましたが、後になって、ビールそのものを燻すのではなく、原料となる麦芽を燻煙してから醸造するのだと知り、「なるほど」と納得しました。

ドイツでは燻製ウナギや燻製ハム、燻製ソーセージなど、燻製食品が数多くあります。これは燻製の香りを好むというより、長い冬を越えるために保存食として発達した食文化の名残なのでしょう。

昼食には温かい料理を食べることが多いものの、夕食はKaltes Essen(カルテス・エッセン)と呼ばれる、パンにハムやチーズを並べた冷たい食事で済ませる家庭も少なくありません。ビールやソフトドリンクも、日本人なら「冷えていない」と感じるような温度で出されることも珍しくありません。

日本では「温かいものは温かく、冷たいものは冷たく」が当たり前ですが、ドイツでは保存性や素材そのものを重視する食文化が今も色濃く残っています。

 

 die Baugleichheit(同一構造)

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Duff BeerのTシャツを買いました。

『ザ・シンプソンズ』では、Duff、Duff Lite、Duff Dryという3種類のビールが登場しますが、実は工場では同じ配管から流れてきて、ラベルだけを貼り替えているという有名なジョークがあります。

これを見て思い出したのが、1990年代のドイツです。

当時、日本の電化製品はヨーロッパ市場を席巻していました。ドイツの消費者向け比較誌『TEST』でビデオカメラの比較記事を読んでいたら、ブランドの違う10機種を分解した結果、**「Baugleich(同一設計・同一メカ)」**という評価が並んでいたことがありました。

外観やロゴは違っても、中身は同じ。

実はヴァイオリンにも、これによく似た話があります。

ドイツの工場製ヴァイオリンでは、同じ工場で作られた楽器が、輸出先や販売店の注文に応じてさまざまなラベルを貼られ、別々のブランドとして世界中へ出荷されていました。

修理で内部を見ると、「あ、この作りはあの工場だ」と分かることも珍しくありません。

もちろん、木材の等級や仕上げの違いはありますが、基本構造はBaugleich。

Duff Beerの「ラベルは違うけれど中身は同じ」というジョークは、実はヴァイオリンにも、そして1990年代の日本製電化製品にも通じるものがあるのです。

der ausgestoßene Bassbalken(削り出しバスバー)

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古い日本製ヴァイオリンを数多く修理してきましたが、削り出し(彫り出し)のバスバーに出会ったのは、この楽器が初めてでした。

日本の量産品では通常、バスバーは別材を貼り付ける構造ですが、この楽器は表板と一体で削り出されています。見本としたのは、当時多く輸入されていたザクセン地方の楽器だったのでしょうか。

一見すると材料も節約できそうですが、実際には貼り付け式よりはるかに手間がかかります。表板を削りながら、同時にバスバーの高さや形を仕上げていかなければならず、左右の板厚を均一に保つのも容易ではありません。

写真を見ると、左右の厚みには多少のばらつきがあり、当時の職人もその点には苦労したことがうかがえます。それでもバスバーの形そのものは実に見事で、量産品とは思えないほど丁寧な仕事です。

初めて目にした国産の削り出しバスバー。製作当時の職人が、輸入楽器を研究しながら試行錯誤していた姿が目に浮かぶようで、とても興味深い一本でした。

der gebratene Reis 炒飯/炒めご飯

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最近、チャーハン作りにはまっています。

子供の頃から不思議だったのは、母親の作るチャーハンと町中華のチャーハンの味の差でした。同じチャーハンなのに、どうしてあんなに違うのか。子供心にも「これは別の料理ではないか」と思うほどで、その差に愕然とした記憶があります。

今は便利な時代で、YouTubeを開けば有名店の料理人が実際に鍋を振る様子まで見ることができます。火加減、油の量、具材を入れる順番、鍋のあおり方まで真似しているつもりなのですが、なかなかあの味には届きません。

それどころか、気合いを入れて作ったチャーハンが、冷凍食品の「本格炒めチャーハン」にあっさり負けることもあります。長年の研究の成果が冷凍食品以下かと思うと、少々複雑な気分になります。

さらに最近になって誤算が一つ。チャーハンは美味しいのですが、中華鍋を振る回数が増えるにつれ、どうも胃がもたれることが判明しました。若い頃なら何ともなかった油の量が、古希を迎えた胃袋にはなかなかの重労働だったようです。

それでも「次こそは町中華の味に近づけるはずだ」と思い、今日もネギを刻み、ご飯を炊き、中華鍋を熱しています。チャーハン道はなかなか奥が深く、どうやら胃袋との戦いでもあるようです。

52 Jahre nach dem Schulabschluss – alle sind nun siebzig Jahre alt. (卒業から52年、全員が70歳になりました。)

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高校を卒業してから52年。あの頃はまさか、自分たちがこんな年齢になって再び顔を合わせる日が来るとは想像もしませんでした。

教室では未来の話ばかりしていた仲間たちも、今では全員が古希。髪が白くなった者、すっかり髪がなくなった者、体のどこかしらに不具合を抱えている者もいますが、集まれば不思議と52年前の高校生に戻ってしまいます。

誰が何組だったか、どの先生に叱られたか、修学旅行で何をやらかしたか。そんな話が次々と飛び出し、つい昨日のことのように笑い合えるのです。記憶力は少し怪しくなっていても、あの頃の友情だけは色あせていません。

卒業後、それぞれが違う人生を歩みました。仕事、家庭、成功や苦労、病気や別れもあったことでしょう。それでもこうして元気に再会できたことは、何よりの幸せです。

写真に並ぶ顔を見ていると、「よくここまで来たなあ」という気持ちになります。人生100年時代と言われますが、まずは全員そろって古希を迎えられたことに感謝。そして次は喜寿の再会を目指して、もうひと頑張りです。

Am Todestag meines Vater(父の命日)

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父の命日です。

 


本所竪川で育ち(実は祖母の実家である茨城県石岡生まれ)、本人は生粋の江戸っ子を自認していました。旧制明治中学航空部から陸軍航空士官学校へ進み、終戦時には特攻隊に所属していましたが、搭乗する飛行機もないまま敗戦を迎えました。

 


東京大空襲では家族のほとんどを失い、学童疎開で生き残った幼い妹を抱えて戦後の厳しい時代を生き抜きます。その後、栃木県日光近くの農家に育った母と結婚し、食糧難の時代を乗り越えました。

 


やがて日本は復興し、高度経済成長の時代へ。父もまたその時代を支えた一人でした。二人の息子を育て、車を買い、家を建て、テレビ、洗濯機、冷蔵庫という「三種の神器」を揃えました。

 


不思議なことに、父は戦争のことをほとんど語りませんでした。航空士官学校のことも特攻隊のことも話しません。ただ時折レコードをかけては軍歌を口ずさんでいました。何を思い出していたのか、今となっては分かりません。

 


振り返れば、父の人生はまさに昭和そのものだったように思います。

die Dampflokomotive(蒸気機関車)

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世田谷公園のミニSLは、私の記憶では昔は本物の石炭を焚いて走っていたように思います。発車の際には独特の煙の匂いが漂い、小さな蒸気機関車とはいえ、なかなかの迫力がありました。

 


もっとも住宅地の中の公園ですから、煙や煤の問題もあったのでしょう。現在は別の動力になっているようですが、黒い機関車の姿は昔のままで、子供たちの人気者であることに変わりはありません。

 


園内に保存されている本物のD51を見ると、石炭を燃やして蒸気を作り、その力で巨大な列車を引っ張っていた時代の技術力に改めて感心します。効率では現代の機械に敵いませんが、蒸気機関車には今でも人を惹きつける独特の魅力があります